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重要無形文化財砧打継承者・工房 風樹代表 |
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砂川 猛 |
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昭和15年 |
宮古島生まれ |
平成10年
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文化庁の後継者育成事業にて砧打を始める |
平成12年
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独立 |
平成18年
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"工房風樹"設立 |
砧打ちを通して、物づくりの素晴らしさ、人間や自然との関わり、
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生き方の探求として今後も学んでゆきたいと思っています。
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砂川 猛氏のコメント
私が砧打ちを始めたのは、祖父、父ともに砧打ちをしていたということもありますが、砧打ちの技術や文化が途絶えかけているという状態にあることを知ったからです。
先人たちの知恵によって培われ、人々の手から手へと受け継がれてきた伝統の手仕事が、時代の流れと共に衰退し、まさに風前の灯であることを知り、“誰かがやらなければならない”“宮古上布にとってなくてはならない砧打ちの文化を守らないといけない”と強く感じ、その思いに突き動かされるように、砧打ちの世界へと入りました。
文化庁の後継者育成事業や宮古織物事業協同組合で砧打ちの技術を学んだ後、独立した当時には、砧打ちの技能保持者がいなかった上に砧打ちに関するマニュアルや、文献が全くないに等しい状態だったので、砧打ちの知識を得ることに苦労しました。
文献などには“砧打ちは見栄えをよくするために行われる”と書かれており、砧打ちとは何なのか、何を求められているのか、と大変悩んだりもしました。
そのため、東京・京都・大阪を訪れ、洗い張り屋、縫製屋に通い調べたり、染色関係の方や学識経験者の方々にお話を聞かせていただいたりしました。
その後、創意工夫を重ね、いろんな方々の要望に応えられるように努めています。
たくさんの方のお話を聞かせていただいたり、多くの文献を読んだりしてきましたが、先人たちがやってきたことを科学的検証すると、“なぜそうするのか”“なぜそれが必要なのか”ということの辻褄が合うことが多くあり、それは文化の流れや生活の中で先人たちが知恵を絞り、築き上げてきた技術や伝統が大変素晴らしいものだということの証だと思います。砧打ちや宮古上布について深く知れば知るほど面白いと思うと同時に、父母の生き様が分かるようになりました。不思議なことに、私も父も祖父も三男坊であるという共通点があり、そういったつながりや親や先人に対する思い入れから、宿命のようなものも感じるようになっていきました。
私の父が生前、宮古上布について特に真剣に話していたことは、やはりその文化や伝統が衰退していってしまうことについてでした。“今のままではいずれ宮古上布は消えてしまうかもしれない。しかし、これがあれば必ず再生出来るはずだ・・”
そういって私が帰省する度に渡してくれた上布の端切れと、残してくれた木槌の二つが、今日に至るまでの私を大きく支えてくれました。
更に驚かされたことは、父が砧台まで床下に埋めていたことです。父がいかに宮古上布を愛し、誇りに思っていたかを感じました。
そんな父を追い越すことは決して出来ないと思います。しかし、それらの父が残してくれた道具や意思を継いでいくことはできる。全身全霊で砧打ちに取り組んできた父に、少しでも近づけるようにと、日々砧打ちに励んでいます。
私の息子にも砧打ちを教えていますが、単なる仕事ではなく砧打ちを通して、物づくりの尊さ、素晴らしさ、自然や人間との関わり、生き方の探求として共に学んでゆきたいと思っています。宮古上布というものが400年以上続いてきたこと、そしてこれから先何百年も続いていくべきものだということ、その誇りを持って向き合って欲しいと思っています。
将来の宮古上布のためには、宮古上布に携わる方々みんなで話し合っていかなければならないと思います。息子や若い世代の方々とともに、島の暮らしのなかで息づいてきた宮古上布を守っていきたいです。
宮古上布に携わる一人として、本当の意味での宮古上布の良さ、誇りに思うべき文化をより多くの人に知ってもらえるような活動をしていきたいと思っています。
下の画像クリックで砂川猛さんの作業風景がご覧いただけます。
砂川 猛さんと出会って
重要無形文化財砧打継承者・砂川 猛氏の作業場“工房 風樹”を初めて訪ねさせていただいたのは、沖縄が梅雨入りになったばかりの頃で、そのときにはまだ宮古上布について今よりももっと知識が乏しく、そんな私が砂川氏の作業場にお邪魔していいのかととても緊張していました。
何を話しても失礼に当たるような気がして、自分から進んで話すことができない私を、砂川氏は大変穏やかな笑顔で優しく気遣ってくださりました。
その温かな人柄は、今も変わらず私を安心させ、落ち着かせてくれます。
そのため、目の前で砧を打たれるところを拝見させていただいたときにはあまりのギャップに息を呑んでしまいました。
カーン、カーンという大音響とともに木槌を振り落とし、宮古上布を見つめる砂川氏の眼差しはとても厳しいもので、一切のごまかしも通用しないと思わせる迫力があります。先程までお話させていただいていた時の穏やかな表情とは違い、渾身の力を込めて砧を振り落とす姿に、私はただただ圧倒されるばかりでした。
宮古上布について書かれてある文献を読むと、一反を仕上げる為に木槌を打ち落とす回数は2万から2万5千回で3時間~4時間ほどの時間を要すると書かれてありますが、実際には12時間あっても足りない、と砂川氏は言います。
それは、宮古上布が伝統工芸品として日本のみならず、世界にもその美しさが高く評価されると同時に、求められるものも多くなってきたからなのだそうです。
それに答えようとする砂川氏のひたむきな想いと、その心が透けるほどうすく涼しい、そしてすべらかな光沢を放つ宮古上布を完成させているのだと思いました。
“技術を継承すれば伝統は守れると思っている人は多いと思うが、文化とは技術だけではなく、実際にその手で触れてもらい、日常の生活に取り入れてもらわなければ本当の意味で文化を守るとはいえない”
後継者不足という問題を抱えている宮古上布ですが、宮古上布を知らない一般の人たちにその魅力を知ってもらうことが今後伝統を守ってゆくのには必要なのだと砂川氏はいいます。
砂川氏が語る言葉には宮古上布に対する熱い想いと愛情を感じると同時に、本当の意味での“強さ”と“たくましさ”を学ぶことが出来ました。
本土で宮古上布について書かれてある文献をただ読んでいるだけでは知りえなかった宮古上布の背景やこころを、お話を通して感じることができた時間は私にとってとても価値のあることだと感じ、その言葉の一つ一つを大切にしようと思います。
砂川氏が宮古上布に携わる人たちの心を重ね、魂を込めて打つ布は、沖縄の陽射しのように美しく輝き、宮古上布の伝統を力強く牽引していってくれるでしょう。
目に光を宿して、宮古上布の復興を願う砂川氏の笑顔を見て安心させられると共に心強さを感じました。重要無形文化財砧打継承者 砂川 猛氏は今後の宮古上布の発展や伝統を守るために欠かせない人となることは間違いありません。
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取材者・文/小池佳子 2008.09
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