(織工房下地) 下地 ミツ
下地 ミツ
大正4年生まれ、12歳のときに宮古上布を織り始める。
これまでの82年間、宮古上布を織ってきて大変な苦労をしたこと
もありますし、反対に喜びも山ほど感じることもありました。
今は、良い織り手を育てることに喜びを感じています。
息子の下地達雄と二人で織工房をしていますが、織工房をする
ことで生徒さんたちから元気をもらい、この子たちを絶対に自立
させるまで頑張るぞ、という気持ちでいます。
 
 
製作者のコメント



私が宮古上布の世界に入ったのは、その時代の景気が大きく関わっています。
私が生まれた前の年、大正3年には第一次世界大戦が勃発し、大戦中は日本の経済は大きく急成長を遂げたものの、その好景気は長く続かずに戦後恐慌が発生しました。
更に、その後に起こった関東大震災、そして世界恐慌によりそれは悪化し、「昭和恐慌」とよばれる不況の波が沖縄にも押し寄せてきました。
大正末期から昭和初期にかけての沖縄の経済は最悪の状態で、いわゆる物のない時代ともいわれ、生活を維持し、食べていくのにも苦労する時代でした。
そんな時代でしたので、収入を得るため、生活していくため、12歳のときに宮古上布を織り始めました。
宮古上布に使われるのは、植物繊維の手績みの糸なので、良い糸を買うことが出来れば織りやすく、悪い糸だと大変苦労をしました。
少しでも良い糸を手に入れるために、自分で見て選び、購入していました。
多くの苦労をしても、織りを続けてきたおかげで、夫に先立たれた後も5人の子供を育てあげることが出来たので、宮古上布には感謝しています。
これまでの82年間、宮古上布を織ってきて大変な苦労をしたこともありますし、反対に喜びも山ほど感じることもありました。
今は、良い織り手を育てることに喜びを感じています。
息子の下地 達雄と二人で織工房をしていますが、織工房をすることで生徒さんたちから元気をもらい、この子たちを絶対に自立させるまで頑張るぞ、という気持ちでいます。
今、生徒さんは3人いますが、素晴らしい方々です。
心より、織物が好きで、自分が織り上げたものに喜びを感じていることが見ていて伝わってきます。
この生徒さんたちが、宮古伝統工芸品である宮古上布を支えていくものと、私は思っています。




下の画像クリックで下地ミツさんの作業風景がご覧いただけます。



作業風景1 作業風景2 作業風景3 作業風景4
作業風景5 作業風景6 作業風景7 作業風景4
下地 ミツさんと出会って


織工房 下地を訪れた私を出迎えてくれたのは、ミツさんが織る優しい機の音でした。
工房に入ってすぐに織機に座っているミツさんの姿を見たときには、思わず息を呑んで見入ってしまったほど、織機とミツさんの姿からは、400年以上息づいてきた宮古上布という文化の歴史と伝統を感じました。
“カタン、パッタン”と、ミツさんと織機が奏でる音はとても耳に心地よく、安堵感を与えてくれます。
“こんにちは”と声をかけると、手を止めて“はい、いらっしゃい”と明るい笑顔を向けてくださいました。
下地 ミツさんは大正4年生まれで、御年94歳になられますが、とても元気がよく、その可愛らしい姿と話し方で、私の心を和ませてくれました。
時折、冗談も話されて屈託なく笑うミツさんの笑顔は、見ていてこちらまで微笑んでしまうほどです。
お話を聞かせていただいている間も、ミツさんの手は片時も休むことなく、慣れた手つきで糸を績んでいました。


ミツさんは12歳のころから宮古上布を織り始め、今ではなんと織歴82年という大ベテランです。
“宮古上布の神様”
そう呼ばれるのにふさわしく、杼を投げ、十字の絣を合わせるミツさんの手元は年齢を感じさせないほどに正確で迷いがなく、力強い。そして何よりとても美しい織りで、その手さばきの速さと的確さに、見ていて感動で心が震えるのを感じました。
多くの文献に書かれている宮古上布の美しさを称える言葉を、ひとつにしても足りないくらい、ミツさんの手元から生み出される上布は美しく、命を吹き込まれたかのように輝いていました。


“生活をしていくため、収入を得るために”
ミツさんは12歳のときに宮古上布を織り始めました。
ミツさんが織りを始めた昭和初期にかけて、戦後恐慌や、関東大震災によって沖縄経済は不況の最悪の状態にあったそう
です。極度の不況のため米おろか、芋さえも口にすることが出来なかった多くの農民が、毒性のある野生の蘇鉄(そてつ)を食糧にしたことから沖縄ではその時代のことを『ソテツ地獄』とよんでいます。調理法をあやまると死の危険性があるにも関わらず、その実や幹で飢えをしのぐしかなかったほど、生きていくのが困難な時代であったことが、12歳の女の子を織り機に向わせたのです。


戦争や、天災によって人々の暮らしが左右されてしまう時代を私は教科書でしか知らず、また周りにそのような時代を実際に生き抜いてきた人がいないので、話を聞くこともありませんでした。生きていくために宮古上布の世界に入ったというミツさんのお話は、物語のように捉えていたこの国の歴史、そして苦しい時代を生き抜いてきた人々の歴史を知るきっかけとなりました。
ミツさんのご主人が早くしてお亡くなりになられたときも、宮古上布をずっと織り続けてきたから、5人の子供たちを立派に育てあげることが出来たのだと、ミツさんはいいます。
その時代の風景、そしてその苦労を、私には想像することしか出来ませんが、宮古上布が生きるための糧となり、ミツさんの人生を支えてきたのだと感じました。


宮古上布と共に、人生を歩んできたミツさん。
“たくさんの苦労をしてきた。けれど宮古上布があったからこそ乗り越えてこられた。宮古上布には本当に感謝しています”
ミツさんの歩んできた人生は、20数年生きてきただけの私からは計り知れないほど深く、時代の流れの中で強く生き抜いてきたことを、お話を通して感じることができました。
私には数々の困難を乗り越えてきたミツさんの人生と、苛酷な歴史を乗り越え、人から人へと受け継がれてきた宮古上布とが重なるように感じられました。
今回、織工房 下地を訪ね、ミツさんにお話を聞かせていただいて、宮古上布の歴史や伝統を感じることが出来ただけでなく、様々な困難に直面しても自分の大切なものを守り抜いていく、精神力の強さ、たくましさを学ばせていただきました。


どんなに苦労しても生きるため、子供達のためにと織りを続けてこられたミツさんですが、今は息子さんであり、宮古上布意匠伝統工芸士でもある、下地 達雄氏が設立された“織工房 下地”に来ている生徒さんたちの成長していく姿が、何よりの喜びなのだといいます。
“この生徒さんたちを自立させるまで頑張りたい。頑張っている姿を見ていると元気がもらえる”
技術だけでなく、ミツさんの心、そしてその思いは、将来の宮古上布をたくましく担う力になるだろうと思います。



取材者・文/小池佳子 2008.09
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