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(工房がじまる) |
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砂川 利津子 |
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何も知らず飛び込んだ宮古上布の世界でしたが、今では織りに |
向かっている時間は私にとって、とても大切な時間となりました。 |
今後は伝統的なものはもちろん、新しい模様の絣柄も織れるよう |
に頑張りたいです。 |
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製作者のコメント
私が宮古上布の世界に入ったのは平成3年ごろで、新聞の宮古織物事業協同組合の後継者育成事業の広告を見たことがきっかけです。宮古上布についてなにも知らずに飛び込んだ世界だったので、専門用語、道具の名前など覚えることがたくさんあって、とても大変だったことを覚えています。
毎日新しいことを覚えていく中で戸惑うこともありましたが、織りに関しては悩んだことや苦労を感じたことは、ほとんどありませんでした。 それほど織りは楽しくて、どんどんと夢中になっていきました。
初めて宮古織を一反織り上げたときは本当に嬉しかったです。
記念に織りあがった反物を頂いたので、義母と私のジャケットを作りました。
そのジャケットは今でも大切に取ってあり、見るたび初めて織り上げたときの嬉しい気持ちが甦ってきます。
出産と育児もあったため、2年ほど前からまた織りを学び始めました。織りから離れていた期間が長かったため、何一つ覚えていなくて、もう一度基本から学び直していますが、やっぱり織りは楽しいな、と改めて実感する毎日です。宮古上布は全工程が手作業で進み、一反織り上げるのに一人の力では絶対に完成しないところが最大の魅力だと私は思います。
その魅力を多くの人に知ってもらうこと、そして伝統を守りつつ新しいものを作りあげていく若い力が、今後の宮古上布の発展には必要だと思います。
私自身、まだ横絣しか織ったことがないですが、今後は伝統的な絣模様はもちろん、新しい模様の宮古上布も織れていきたいと思っています。
私の目標は、着尺の十字絣を織ることなのですが、そのためにはもっとたくさんの知識をつけていかなければならないと感じています。
自分の織った宮古上布をたくさんの方に着ていただけるようになるまで、自分のペースで織りを続けていきたいです。そしていつか自分の娘にも宮古上布をプレゼントしたいと思っています。
この先宮古上布が、私にとってかけがえのないものにしていくためにも、これから多くのことを学び、力をつけてゆきたいです。
下の画像クリックで砂川利津子さんの作業風景がご覧いただけます。
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工房がじまる
砂川利津子さんと出会って
砂川利津子さんはお話を聞かせていただいている間、終始ニコニコとされていて、つられてこちらまで微笑んでしまうようなとても優しい空気を持った方です。
新聞に掲載されていた宮古織物事業協同組合の後継者育成事業の広告を見て興味を持ったことをきっかけに、宮古上布の世界に入ったという利津子さん。
始めたての頃は道具の名前も分からず苦労をしたという話を聞いてとても親近感をもちました。
私自身も宮古上布について全く何も知らなかった頃には、道具の名前もおろか漢字すら読めず、辞書で漢字を調べないと宮古上布の資料が読めなかったほどだったので、その他にも覚えることが多くあった利津子さんは、すごく努力されたんだろうなと思いました。
それは利津子さんだけに限らず、宮古上布に携われている方々は本当に勉強熱心な方ばかりで宮古上布について何も分からなかった頃は“どうしてそこまで夢中になれるのか”と驚いたものです。
しかし、少しずつ宮古上布の歴史や工程、それに懸ける多くの方の想いを知っていくうちに、夢中になるだけの魅力が宮古上布にあると思うようになりました。
“宮古上布の最大の魅力について全工程が手作業で進み、一反織り上げるのに一人の力では絶対に完成しないところだと思う”と利津子さんは言います。
自分一人の力では生み出すことの出来ないものだからこそ、糸を績んでくださるおばぁたちへの感謝の気持ちや色んな想いが生まれ、宮古上布を更に輝かせているのだと、利津子さんのお話を通してそう感じることが出来ました。
“私自身、まだ横絣しか織ったことがないですが、今後は伝統的な絣模様はもちろん、新しい模様の宮古上布も織っていきたい”
そう話される利津子さんの表情からは、この先自分が成長していくこと、織れるものの幅がどんどんと広がっていくことを心から楽しみにしているような印象を受けました。
自身の成長のために更なる努力を続けようとする利津子さん。
その姿は、利津子さん始め、製作に携わる方々の宮古上布に対する想いや心を、多くの人に伝えられるようにもっと勉強しようという私の気持ちを高めてくれます。
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取材者・文/小池佳子 2008.09
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